佐瀬守男〜一代で大企業へ成長させた経営手腕〜

佐瀬守男〜一代で大企業へ成長させた経営手腕〜

佐瀬守男社長は築地銀だこを一代で築き上げ、年商300億円以上の大企業にまで成長させた実績と経営手腕を持っている人物です。

佐瀬守男さんの経歴

本名:佐瀬 守男(させ もりお)、年齢:57歳(2021年)、生年月日:1962年10月16日、出身地:群馬県桐生市、高校は群馬県立桐生南高校、最終学歴は東京YMCA国際ホテル専門学校です。佐瀬社長は現在57歳です。

高校の桐生南高校の偏差値は52ということで、群馬県では中の上くらいの偏差値の学校になります。

大学には通わずに専門学校の東京YMCA国際ホテル専門学校に通い、ホテル業界に関する業務知識やマネジメントを学んだそうです。

有名企業の社長ということで、イメージ的には学生の頃から秀才のような印象を強く受けますが、最終学歴がホテルの専門学校とは意外に思われる方もいらっしゃると思います。

「ホットランド焼きそば」開業

東京YMCA国際ホテル専門学校卒業後は、25歳で母親と焼きそば店「ホットランド焼きそば」を気軽に開業したことがサスセスストーリーの始まりです。

輝かしい経歴を誇る佐瀬守男さんですが、成功の裏には相当な苦労があったようです。

多種多様な業態に手を広げたが…

焼きそば屋を挫折し、たい焼き、今川焼、おむすび、アイスクリームなど色々な業態に手を広げますが、失敗して1億円の借金を背負ってしまい閉店に追いやられてしまいます。

当初母親と開業した焼きそば店の初日の売り上げはなんと350円だそうです。

当時は生活も苦しく家賃さえ払えない状態になることもしばしばあり、新聞配達の仕事を掛け持ちしながら営業していたのだとか!

その後、現在の奥さんのお兄さんと協力して、銀行に多額の借金をして2号店を出店するなど店舗拡大に着手するが、それでもなかなか売れずに成功には至らず!

諦めない努力が成功への鍵?

苦労された時間が長かったようですが、若い頃から失敗や挫折を繰り返しながらも、諦めずに努力してきたからこそ、今の成功を収めることができたのではないでしょうか!

そう簡単には真似できることではないですが、これから会社を立ち上げようとしている人は佐瀬社長を参考にしてみるのもイイと思います。

苦労をたくさん経験した人です。そのため、言葉にも重みがあり、義理人情も熱く、人望がある社長さんです。

ホットランドさんで働く従業員の方が、皆さん、イキイキとした表情で精を出す姿に、この社長さんを見て納得できるような気がします。

ホットランドを調査

ホットランドは「築地銀だこ」が主力ブランドでありますが、「クロワッサンたい焼」で有名な「銀のあん」や、有名パティシエの鎧塚俊彦氏が社長である”株式会社サンセリーテ”との合弁会社「株式会社1016」を設立し、スイーツ事業の方でも活躍を見せています。

ホットランドの沿革

1997年、群馬県みどり市でたこ焼き店・築地銀だこをオープン。

1999年、銀座に築地銀だこ本店をオープン。

2003年、鎌倉山あずき茶屋1号店をオープン。

2004年、香港に築地銀だこ香港1号店をオープンし、本格的に海外進出。

2011年、宮城県石巻市に、復興応援としてホット横丁石巻をオープンし、本社を石巻に移す。

2014年東証マザーズ上場。

2015年9月東証一部に昇格。

「築地銀だこ」は、2008年に店舗数300を突破した後、2014年に店舗数400に達し、急成長を続けました。

現在では立地・収益性重視の出店方針に変更し、不採算店舗の閉鎖、立地厳選の新規出店を念頭に出店戦略を進めています。

たこ焼き・たい焼きが主力商品

『”ほっとした安らぎと笑顔いっぱいのだんらん”を提供できることを最上の喜びとする』を企業理念とし、日本の食文化に特化した様々な事業を開拓。たこ焼チェーン「築地銀だこ」(国内外で400店舗以上)、たい焼きチェーン「薄皮たい焼 銀のあん」などを主力に展開しています。

1997年に「築地銀だこ」をオープンし、数多くの逆境を乗り越えながら、徐々に店舗拡大をしていき、海外進出も果たし、有名たこ焼き屋として全国でブレイク。

現在は東証一部上場を果たし、売り上げは317億円を記録するなど、日本を代表する会社に成長を遂げています。